GRAPEVINEがバンドとしての理想系である話【後編】
こんばんわ。
ハイボール片手にほろ酔いながら、愛してやまないGRAPEVINEの事を書きたいと思います。
前回は、GRAPEVINEの歌詞の部分にフォーカスして書きましたが、今回はサウンド面や演奏面に関してとバンドとして何故理想形なのかを書ければと。
GRAPEVINEの魅力② ギターが牽引するサウンドメイク
デビュー当初から2000年リリースされたアルバム「here」のライブまではオリジナルメンバーでライブのパフォーマンスからレコーディングの演奏を行っていたGRAPEVINE。その初期に強烈なインパクトを残した理由としてはギターの西川さんと田中さんのツインギターのユニゾンやオブリ感が初期の初速や他バンドとの差を生んだと僕は考えている。
具体的に楽曲でお伝えすると2000年にリリースされたアルバム「here」に収録されている「南行き」という曲だ。
この楽曲の凄いところは、ハードロックやメタルで多用されている、ソロギターのユニゾンで間奏やアウトロ箇所をサウンドメイクしたという所と、楽曲自体はブルース的な要素を強めているにも関わらず、ギタープレイ的にその要素を違和感なく取り入れている所にあると思っている。
2011年にリリースされたアルバム「真昼のストレンジランド」収録の楽曲「This town」の間奏箇所もそうなのだが。
「南行き」という曲では、GRAPEEVINEの2本のギターが強いという所をまざまざと見せつけ、GRAPEVINEが作り出す音に強烈なインパクトを残している。
特に、ギターの西川さんのプレイスタイルは通常のギタリストの概念や理念を根底から覆しているギタープレイなのはご存知だろうか?
大体リードギターというものは、例えばギターボーカルが居るバンドでは、ギターボーカルが担いきれない部分をリードギターが担うという概念の元アレンジを構成されるのだが、西川さんのギターは楽曲に呼ばれる形なのか、リードらしからぬプレイラインをリードギターが取っているという所に魅力を感じるのだ、初期の西川さんのプレイスタイルは従来のロックバンドのアレンジ感を踏襲した感は残しつつ、西川さんにしか演奏できない色を足していると感じたのだが、昨今の西川さんのプレイは異常である。
例えば「それを魔法と呼ぶのなら」という曲では、レコーディング音源に冒頭から「チーッ」とノイズが走る音が聞こえるのだが、これは西川さんの発想で曲終わりまでギターを弾かずにノイズだけを鳴らすという奏法?笑 で曲に色を足している。
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その発想然り、昨今の西川さんはピックで鳴らす奏法以外にも指でソロやアルペジオを弾くことでギタープレイ的に温かい音を出すように心がけている。
「TIME IS ON YOUR BACK」の45秒あたりで確認できるので見てみて欲しい。
その様なきめ細やかなサウンドメイクやパフォーマンスによってGRAPEVINEの世界観が作られていて、だからこそ前編で話した、「シリアスさ」により説得力を増す事ができるのだろうと思う。
ギタリストならば、「手癖」というものがあるのだが、西川さんの手ぐせは「ST ADY」のイントロリードギターのフレーズらしい。ギターやってる人なら一度引いて見いて欲しいのだが、このフレーズが手癖というギタリストって、、、なると思います。
GRAPEVINEの魅力③ 業界関係者に圧倒的にファンが多い
僕はレコード会社でプロモーターという仕事をしていた時期があり、プロモーターのメインの仕事は外の媒体に対して露出枠の確保を営業する仕事なので、日常的にラジオやテレビ媒体の方と話をする事が多い。
雑談の中で、媒体の人に対して「GRAPEVINEどう思います?」って担当でもないのに聞いていた時期があり、GRAPEVINEに対して好印象を抱いている媒体関係者が多いという事も魅力の一つだと感じる。
「音楽と人」編集長、金光氏然り、「MUSICA」編集長、鹿野氏然り、各媒体に根強くGRAPEVINE支持を保っている事がGRAPEVINEにとってとても幸せな事であり、かなり奇跡的な事なのだ、ある程度セールスを誇るアーティストを媒体側が支持する事は数字計算としても理に適った行動であるのは言うまでもないのだが、GRAPEVINEの様な特殊な位置付けのバンドが根強く支持される事はとてつもなく、幸せな事であり財産でしかないと僕は思う。
リリースをすれば、それら熱量高くGRAAPEVINEを応援する媒体関係者から無条件で露出を確保してもらったり、楽曲をオンエアしてもらえるからプロモーションの観点からするとこんな楽な事ないのだ。
ある意味、業界関係者でGRAPEVINEを未だに応援しているのはある意味それぞれの意地でやっているし、その分だけやっぱりGRAPEVINEに期待してしまうからだと思う。
撮影終了! 来月号、音楽と人6月号の表紙はGRAPEVINEです。GRAPEVINEのリリースと聞くと、表紙をやる使命感が勝手に沸いてしまう音楽と人がアルバム徹底特集します!
— 音楽と人 (@ongaku_to_hito) 2021年4月12日
5月6日発売です。#grapevine #音楽と人 pic.twitter.com/FTWPtiaPvq
GRAPEVINEの魅力④ 根強いファンの気持ち
僕自身、ブログもそうですが、You Tubeでもこんな事を展開している。
僕以上にGRAPEVINEを愛して止まない人はもっといると思うし、その様なファンがいるから今日までGRAPEVINEは活動を続けられたのだと思う。
来年25周年というのに、未だにもの凄く中途半端な(失礼)位置で自分たちがやりたい音楽を自由に表現できているという事も奇跡なのだが、ホール規模をちゃんと埋め切るという動員力もやはり凄いのだ。これは一重に、ファンが熱狂的であるが故にファンの母数が変わっていないという裏付けだと思うし、ファンはファンでGRAPEVINEの音楽に未だに魅了され、信じ続けてきているからなんだと思う。
それは、彼らが音楽に対して実直に向き合っている姿勢がそうさせるのだろうし。やはり、GRAPEVINEが作り出す世界に浸りたいとずっと期待させてくれる曲を出し続けてくれるからなのだと。世には色んなアーティストが居るが、ここまでファンに媚びずに「聴きたい人が聴けば良い」と本人たち自身胸を張って言っているのは、それだけ分GRAPEVINE本人たちが音楽に力を注いでくれていて、良いペースで作品を出し続けてくれるからこそ。
この25年活動が続いてきたのだと。
最後に、何故理想形なのか?
ここまで、僕の主観の意見をダラダラと語ってしまったのですが、このブログのタイトルにある「何故理想形なのか?」という事だが。
ここまでに語ってきた、GRAPEVINEの魅力もさる事ながら例えば、1999年を期にもし、大ブレイクしていたらもしかすると早々にGRAPEVINEは終わっていたのかも?と想像する事もあるし、メンバーが脱退しても諦めずに音楽を続けてきてくれたメンバーの強さもあるし、今日まで付かず離れずみたいな距離感で常に新作を届け続けて来てくれた彼らに努力に最終的には落ち着く。
ここまで、絶妙なバランスで音楽を続けられるバンドは他に類を見ないと思う。ある種、それは彼の強運でもあるし、ファンである支持者の長年に育んできたGRAPEVINEの愛情が相乗効果で、未だにGRAPEVINEの活動を楽しみにできているからなんだと思う。ただ、新作を心待ちにできるアーティストを僕自身も作れてとても幸せで、微力ながらGRAPEVINEが1日でも長く音楽を続けていて欲しいと願う、ファン1人1人の気持ちがこれからも彼らの活動を繋げていくのだと思う。
最後に簡潔にまとめると、やっぱりGRAPEVINEが一番好きなのだ。