幸せは意識しないと感じないという話

人は「幸せ」を求めて、死ぬまでにその「幸せ」を抱えながら死ぬんだろう?ってみんな何となくそこを目指して生きているけど、その考えとは裏腹に意外と日常的な「幸せ」を見つける事が難しかったりする。

好きな人と一緒になって、一緒になった瞬間は「幸せ」と思って何年間か生きていくうちに「これは私が思った幸せではない」と自ら、その幸せを捨ててしまう瞬間がある。僕もその一人だし、そんな事もあった。

“人はどこまでも欲が深く、その欲を追い求める生き物”

そんな言葉をどこかで見た気がした。

自分にその瞬間が訪れた時、人だからやっぱり悲しくなったり、切なくなったりするもので「自分はこっちの方が幸せだ」を選んでいるはずなのに一時の気持ちを優先して「幸せだったはずの選択肢」以外を選ぶ。その選択の後は大体悲しくなる。

なんでこんな事をずっと繰り返すんだろう?と最近考えていた。

費やした時間やお金が勿体無いと思う事よりも、瞬間的な衝動を自分自身選んでしまうそんな事の繰り返し。後悔しているわけでは無いのに、何か心に寂しさを帯びてしまう。

生きるのって本当に難しい。

幸いながら、35年間生きてきて不幸のどん底みたいな経験もそこまでないし、不可抗力で不幸せになってしまう人からすると、自分の人生はまだ幸せな方なのかもしれない。と考えると、まだまだ頑張らないとと気持ちを正せる。

多分、全てのなにがしは自分に足りていなかったり、必要な事だからこそ目の前にその現実が現れるのだと。そうやって1日1日越えて行くしかなく、明日突然ガラッと日常が変わるわけでもない。だから、貴重な経験ができたと前向きに捉えて悲しみを乗り越えそれすらも糧にしていくしか無いんだろうね。

まだまだ、人生折り返してもないと思えば楽しい明日がやってくるって、そうやって自分を鼓舞する。