もう、そんな頑張らなくて良いんじゃない?

こんばんわ。

連夜何故か寝れない日が続いているので、珍しく連日連夜更新を。

ふと思いついた切り口ですが、
皆さんは、自分の「頑張り」をどこで測っているだろうか?

例えば、売上? 例えば、周りに気に入られる事? 例えば、身内の評価?人それぞれの定義があるはずで、頑張った分の対価をお金と共に得るものを恐らくみんな探しているはずで。

僕は一時期、仕事で病んだ時期がありました。
その時は、人間関係で拗れ。毎晩毎晩、寝ては魘される日々を過ごし鬱蒼とした顔で行きたくもない仕事に無理やり身体を動かし、険悪なムードの現場をこなして行くしかなかった。

その時、僕は「もう、頑張りたくない」と毎日つぶやき、自分へ諦めさせる為の呪いの様に自分に対して呟いていた。人生で初めて「会社を辞めます」と言ったのもこの時だったが幸いながら、周りの助けを得ることで再起を誓い。少しづつ自分らしさを取り戻せた。

時に自分を追い詰めるまでに人は「頑張ろう」とする。

それは、何を守ろうとしているのか?

病んだ時代の僕は、完全に自分の「メンツ」を守る為に病みながらもどんなに重たい身体でも働く、どんなに人間関係が悪かろうが、それでも無理にでも働く事が自分のメンツを保つ為の一つの道にしか見えなかった。それが当時の僕には精一杯の頑張りだった。

今、病むほど働いていたり。
明日の仕事が眠りにつけないほど、自分を圧迫していたりする人に対して、僕は言いたい「君は既に十分頑張ってる。」

自分が病むほどの頑張りというのは、決して「頑張り」ではない。それは自分が頑張りだと偽っている自分の弱さだと僕は思う。その弱さを隠す為に、無理やり動いてしまうのはある種自分を誤魔化す為であり、自分を納得させる為だけの都合の良い理由にしているだけ。

もう、そんな意地を張る必要はないよ。
弱い自分を認める事で、人は強くなれる。僕がそうだったように。
それができてはじめて「頑張り」の本質が僕は見えた。

僕が思う頑張りは、
「仕事に関わってくれてる人たちが、少しでも幸せになれば」という気持ちと「何がなんでも自分がなんとかする」という意地も、全てはこんな自分と付き合って仕事をしてくれてる人に対しての恩返しの為に頑張る。全ては自分の弱さを認めてから、なんの恥ずかしげもなく人に話せる様になると思う。

今、「頑張る事」がとても苦しくて、自分を追い詰めているならば。一旦、頑張るのをやめて自分の弱さを認めてあげよ。そうすると、きっと人にもっと優しくできると思うから。