自分にとっての音楽は

ハイボールも進み、3杯目となったこの瞬間に勢いで書く。

自分の人生振り返ると、小学校5年生で独学でギターを始めてから以降、
今に至るまでに、音楽が途切れること無く生活の一部となり、自分の人生を
描く大事なコンテンツだ。

思春期の時には、音楽でご飯を食べる事を誓い、
自分で音楽を作らなくなった今、作り手やアーティストのサポートをするという
役回りでご飯を食べさせてもらっている。

基本的に、自分の音楽の聴き方は「グッとくるか」という基準を大事にして音楽を聴くようにしている。

例えば、今自分が感じ考えている事に寄り添ってくれる音楽や、夜仕事帰り車を運転しながら、ふと突き刺すような言葉を届けてくれる音楽。例えば、昔を振り返って当時よく聴いていた音楽に触れて老いを感じる音楽とか、、

要は自分の感情の整理をしてくれるツールが自分にとっては「音楽」だ。

だからこそ、
自分が携わったアーティストで届けたい気持ちや、想いや、信念や、こだわりなんてものは自分のエゴだとしても、自分と同じ様に同じ様な感じ方で受け取ってくれるリスナーを想像して毎回商品にして届けている。

音楽は人それぞれ、受け取り方も感じ方も十人十色で様々であればあるほど面白い、
だからこそ、プロとしてスタッフとしてユーザーの色々な感情を音楽が代弁したり、身代わりになる瞬間を期待している。

そんな音楽を届けたいし、そんな音楽が好きだから。
その届ける音楽が売れようが売れまいが、そんなの関係なくて、
誰かの大事な一曲になればそれで良いのだと、いやそれではダメなんだと、
答えの出ない仕事を今僕は職として全うしようとしている。

久しぶり

やはり、定期的にブログを継続するのは難しい。何かに気を取られている瞬間に気がついたらびっくりするぐらい時間が経っているものだ。

ここ最近の僕と言えば、来年の個人事業主になる為の準備として、色んな人と会ってご飯を食べて、色んな人の考えをインプットしてる。

別に意識高い系でもないし、単純に他人とご飯を食べながら喋るという行為は会話の中で、常にQ&Aを繰り返すので、自分の考えの整理に有効だからだ。

例えば、他人Aが「〜〜だと思う、自分はこう考える」という答えに対して、同調するでもなく正直な自分の意見をぶつける事で、自分の考えの欠点だったり、他人の考えの素晴らしさをダイレクトに感じられるから、他人とご飯を食べながら話をする行為は頭の中を整理するのにもってこいなのだ。

合わせて、考えていく部分として「個人事業主となったその先の未来」の描き方もふんわり頭で考えるクセをつけてる。取り急ぎ、食うには困らないだけの仕事を人の繋がりで受けつつ、その仕事を進める中で得るものと自分からアウトプットするものを想像し、その仕事のルーティーンからその次自分の未来をどう描くのかを深く考えずふんわり想像してみるのだ。

「この未来はつまらなそう」とか「年齢的にはもうこの辺りでこうならないと」とか意味があるのか無いのかは一旦置いておいて、現時点で考えられるだけの色んな想像を膨らます事が自然と、アーティストと仕事をする中の施策に生きたり、企画に生きると思ってるから。

一昔前までは、何かに疲れていて何かに諦めていた自分だけど、今はワクワクやドキドキで毎日胸を躍らせている、結局、楽しい人生にするかしないかなんて自分の気の持ちようなのだ。

強い方に靡くとそれに依存する話

こんばんわ。

引っ越してきた新しい家のデスクが快適すぎて、割とここ最近更新してる気がしますが。今日は何を話そう。

皆さんは、例えば会社組織に属している中で、「上司やイケてる人たちと連んでおきたい!それが出世の近道!」と思う人なのか、「目の前にある仕事にとにかくこだわりを注ぐんだ!」っていうタイプなのか?

どちらが良いとか悪いの話ではなく、
僕はどちらかと言えば後者でどちらかというと、忖度&ごますりがとてつも無く苦手なので、世渡り上手か下手かで言えば、下手な方である。

昔は出世する為ならば、「上司がいう事絶対!」、「偉い人がいう事が正しい!」に従っていれば、それなりに役職もついて、それなりに給料も上がってっていう方程式があったのかもしれないが、肌感覚でここ最近はその様な風潮やしきたりも薄まっている様に感じる。どちらかと言えば、すぐ近くの同じ立場の人たちを尊重しあって仕事を回していく事が増えたように思いませんか?

その背景としては、一流企業や大企業も競合他社や時代の流れによって回していた事業、サービスが廃れていくに連れて、体力がなくなって来た事もあり、これまでと同じような働き方をしていても、自分にリターンとして「出世」や「昇給」に繋がりにくくなってきているのが現実だろう。その様な流れの中で、恐らく先に話したような「忖度」、「ごますり」は薄まり、何のために働いているのか?という事に立ち返った時に、「目の前にある仕事にとにかくこだわりを」持つ事の方が、自分らしく楽にストレスフリーで働きやすくなったんではないかな?と考える事がある。

タイトルにある「強い方に靡く」というのは、僕にはできなかった「忖度」、「ごますり」が上手な人たちの事を表現している。

悪口でも無く、悪い揶揄でもないのだが、時代も変わってそれに慣れてしまっている人はそろそろ、仕事に対しての向き合い方も変えていった方がいいかもね?って事を伝えたくなった。というのも、身近にその様な働き方が染み付きすぎてしまって、「ここ最近、どうやったら出世できるか分からない。。」と溢す知人がいたからだ、彼曰く「コロナ前までは従来と同じやり方で通用したけど、、」らしい。
僕自身は基本的に仕事の向き合い方は変わっていないので、その変化を感じる事もなかったのだが(それもどうかと思う。)知人曰く、確実に時代が変わって来ていると漏らしていた。

それもそうだ、やれ、リモートだ、やれソーシャルディスタンスだ、という状況では、

中々物理状況として、忖度&ごますりしようと思ってもできないからだろう。つくづく思うのは、コロナは物事の本質を見抜く為に与えられた人間への試練だったのかもね。

知人は言う「もう出世じゃない所で働かないと」と。
きっと、生きにくい世の中になったんではなく、身ぐるみ剥がした本質の時代が幕を明けて、これからもっと楽しくなる時代への準備期間なんだろうって。

もう、そんな頑張らなくて良いんじゃない?

こんばんわ。

連夜何故か寝れない日が続いているので、珍しく連日連夜更新を。

ふと思いついた切り口ですが、
皆さんは、自分の「頑張り」をどこで測っているだろうか?

例えば、売上? 例えば、周りに気に入られる事? 例えば、身内の評価?人それぞれの定義があるはずで、頑張った分の対価をお金と共に得るものを恐らくみんな探しているはずで。

僕は一時期、仕事で病んだ時期がありました。
その時は、人間関係で拗れ。毎晩毎晩、寝ては魘される日々を過ごし鬱蒼とした顔で行きたくもない仕事に無理やり身体を動かし、険悪なムードの現場をこなして行くしかなかった。

その時、僕は「もう、頑張りたくない」と毎日つぶやき、自分へ諦めさせる為の呪いの様に自分に対して呟いていた。人生で初めて「会社を辞めます」と言ったのもこの時だったが幸いながら、周りの助けを得ることで再起を誓い。少しづつ自分らしさを取り戻せた。

時に自分を追い詰めるまでに人は「頑張ろう」とする。

それは、何を守ろうとしているのか?

病んだ時代の僕は、完全に自分の「メンツ」を守る為に病みながらもどんなに重たい身体でも働く、どんなに人間関係が悪かろうが、それでも無理にでも働く事が自分のメンツを保つ為の一つの道にしか見えなかった。それが当時の僕には精一杯の頑張りだった。

今、病むほど働いていたり。
明日の仕事が眠りにつけないほど、自分を圧迫していたりする人に対して、僕は言いたい「君は既に十分頑張ってる。」

自分が病むほどの頑張りというのは、決して「頑張り」ではない。それは自分が頑張りだと偽っている自分の弱さだと僕は思う。その弱さを隠す為に、無理やり動いてしまうのはある種自分を誤魔化す為であり、自分を納得させる為だけの都合の良い理由にしているだけ。

もう、そんな意地を張る必要はないよ。
弱い自分を認める事で、人は強くなれる。僕がそうだったように。
それができてはじめて「頑張り」の本質が僕は見えた。

僕が思う頑張りは、
「仕事に関わってくれてる人たちが、少しでも幸せになれば」という気持ちと「何がなんでも自分がなんとかする」という意地も、全てはこんな自分と付き合って仕事をしてくれてる人に対しての恩返しの為に頑張る。全ては自分の弱さを認めてから、なんの恥ずかしげもなく人に話せる様になると思う。

今、「頑張る事」がとても苦しくて、自分を追い詰めているならば。一旦、頑張るのをやめて自分の弱さを認めてあげよ。そうすると、きっと人にもっと優しくできると思うから。


佐藤千亜妃が席巻する今秋

こんばんわ。

最近南武線沿線沿いに引っ越して、電車通り沿いに住む過酷さを身に染みて感じてますが、部屋はめちゃ気に入っているので良しとします。

さて、最近僕がヘビーローテーションしている「佐藤千亜妃」について、直近で確かにこのポジション空いてたなという事も含めつつ、佐藤千亜妃さんを僕目線で紐解いていきたい。この秋は佐藤千亜妃の曲と共に過ごしてみてはいかがだろうか?

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最近空いていたこのポジションについて

何故、このポジションが最近空いていたのかというと。このポジションは遡ること90年代から定期的に新しい才能が見つかる。

例えばChara、例えば椎名林檎、例えばSalyu、など少し毛色が違うが定期的に女性SSW(シンガーソングライター)は出てくる。特に今の音楽業界は音楽偏差値が上がっている用に感じており、アイドル→K -POP→バンド・SSW・You Tubeミュージシャンが台頭する時代だ。

前にも書いたかもだけど、現在の音楽シーンは90年代中期を彷彿とさせる流れに非常に近い。当時はミリオンヒットを量産した時代だが、本当に良い曲。耳に残る曲を世の中に輩出していた。僕は今の音楽シーンがとにかく「面白い!」と前にも書きましたが、才能がどんどん出てきていて、いい刺激をアーティスト同士で受け合っている環境になっていると思っている。

その90年代中期には先にも書いた、Charaを筆頭にUABONNIE PINKなど女性SSWは定期的に現れていた。2000年代になると先に書いた椎名林檎を筆頭に、COCCO安藤裕子柴田淳など。どんどんといい刺激を受けてアーティストが出てきた。
特に僕が強調して言いたいのは、現代における佐藤千亜妃のポジションは2000年代中期に頭角を現した、「安藤裕子」と「柴田淳」にめちゃくちゃ近いポジションなんじゃ無いかと勝手に思っている。


このポジション実は最近出てきていなかったのだ。


安藤裕子柴田淳が残した「せつなSONG」

2000年中期、世の中を切ない色に染めた安藤裕子
佐藤千亜妃が好き!って人なら90%刺さりそうな類似アーティストを紹介する。僕がうだうだ説明するよりも曲を聞いてもらったほうが早い。

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どうでしょうか?割と的を射てると思うのですが。
この安藤裕子「のうぜんかつら」は当時、TVCMの月桂冠「月」というお酒のCMで大量に流れ、それを期に安藤裕子は大ブレイクした。
彼女の独特な世界観を浮き彫りにした代表曲。

どうでしょう?いいでしょう?笑

佐藤千亜妃好きなら、間違いなく刺さるアーティストかと。


続いては、柴田淳だ。

同じく、僕が余計な説明をするよりも聞いてもらった方が早い。

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どうでしょうか?ここまで生々しい不倫ソングなんて現代では中々聴けないかも。笑
今聴いても、良いんだから。

佐藤千亜妃は間違いなく、この2アーティストの路線の売れ方をすると僕は予想しており、売れるのも時間の問題だな。と。

というか既にバズり始めてますよね。

 

アルバム「KOE」に収録「カタワレ」のバズ

佐藤千亜妃の最新アルバム「KOE」に収録されている、「カタワレ」は既にバズっており、TiK ToKを中心に若者にも浸透している。
「カタワレ」は曲を聞けばそのキャッチーさ故に、TiK ToKで使いたくなる理由もわかる。

open.spotify.com


このバズによって、現在彼女の曲の中ではダントツで「カタワレ」が聴かれているが、僕個人としてはこの楽曲によって彼女が知られたのは分からないけど、本人的にはあまり求めていなかった結果なのでは?と思っている。(注意:個人の見解です!)

本来、佐藤千亜妃の持ち味は先にも話した安藤裕子柴田淳の代表曲に近い、「切ない楽曲」が本筋なのでは?と考えている。
それはアルバムタイトルに掲げられている理由付にもあるのでは無いかと。

 

佐藤千亜妃が席巻するこの秋

勝手に、この秋にプッシュして申し訳ないのだが、先にも話した「佐藤千亜妃の持ち味」はアルバム「KOE」に収録の「声」を聴けばわかるだろう。

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分かります?この切なさ。

まじで、ここ最近の女性SSWでトップクラスに切ない曲を書く人だと思ってます。

僕は勝手にこの手の曲を昔から「秋SONG」って位置付けてますが、秋の夕暮れ時に聴きたくなる曲の事を指します。笑

もう冒頭歌詞がすごい。


--歌詞抜粋


声が聞こえたような気がして

人混みの中で君を探した

何度も描いて消した未来が

今も鮮やかに胸を締め付ける

 

やばいでしょ?切なすぎ。
僕が、最近彼女と別れたから響きすぎるのかもしれないですが笑
引きずって無いですよ!(どうでもいい)

僕がこの手の曲を好きな理由として、自分の気持ちや抱えている事を音楽に乗せやすいから好きなんだろうな。音楽の使い方は人それぞれ、十人十色の音楽の聴き方があってそれぞれが納得する聴き方をすれば良いと思うのですが、音楽がその効能を一番発揮する感情の中で「切なさ」は誰しもが音楽に気持ちを乗せやすいのでは無いだろうか。

もし、今失恋してしまったとか、彼氏彼女と別れてしまった寂しい秋を過ごしているアナタに間違いなく刺さる佐藤千亜妃の世界観。

秋自体一瞬の出来事で、毎年気がつけば冬がやってくる。
でも、その一瞬を「切ない気持ち」で満たしたいそこのアナタ。
この秋のお供に、是非聴いてみて欲しい。

幸せは意識しないと感じないという話

人は「幸せ」を求めて、死ぬまでにその「幸せ」を抱えながら死ぬんだろう?ってみんな何となくそこを目指して生きているけど、その考えとは裏腹に意外と日常的な「幸せ」を見つける事が難しかったりする。

好きな人と一緒になって、一緒になった瞬間は「幸せ」と思って何年間か生きていくうちに「これは私が思った幸せではない」と自ら、その幸せを捨ててしまう瞬間がある。僕もその一人だし、そんな事もあった。

“人はどこまでも欲が深く、その欲を追い求める生き物”

そんな言葉をどこかで見た気がした。

自分にその瞬間が訪れた時、人だからやっぱり悲しくなったり、切なくなったりするもので「自分はこっちの方が幸せだ」を選んでいるはずなのに一時の気持ちを優先して「幸せだったはずの選択肢」以外を選ぶ。その選択の後は大体悲しくなる。

なんでこんな事をずっと繰り返すんだろう?と最近考えていた。

費やした時間やお金が勿体無いと思う事よりも、瞬間的な衝動を自分自身選んでしまうそんな事の繰り返し。後悔しているわけでは無いのに、何か心に寂しさを帯びてしまう。

生きるのって本当に難しい。

幸いながら、35年間生きてきて不幸のどん底みたいな経験もそこまでないし、不可抗力で不幸せになってしまう人からすると、自分の人生はまだ幸せな方なのかもしれない。と考えると、まだまだ頑張らないとと気持ちを正せる。

多分、全てのなにがしは自分に足りていなかったり、必要な事だからこそ目の前にその現実が現れるのだと。そうやって1日1日越えて行くしかなく、明日突然ガラッと日常が変わるわけでもない。だから、貴重な経験ができたと前向きに捉えて悲しみを乗り越えそれすらも糧にしていくしか無いんだろうね。

まだまだ、人生折り返してもないと思えば楽しい明日がやってくるって、そうやって自分を鼓舞する。

GRAPEVINEがバンドとしての理想系である話【後編】

こんばんわ。

ハイボール片手にほろ酔いながら、愛してやまないGRAPEVINEの事を書きたいと思います。

前回は、GRAPEVINEの歌詞の部分にフォーカスして書きましたが、今回はサウンド面や演奏面に関してとバンドとして何故理想形なのかを書ければと。

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GRAPEVINEの魅力② ギターが牽引するサウンドメイク

デビュー当初から2000年リリースされたアルバム「here」のライブまではオリジナルメンバーでライブのパフォーマンスからレコーディングの演奏を行っていたGRAPEVINE。その初期に強烈なインパクトを残した理由としてはギターの西川さんと田中さんのツインギターのユニゾンやオブリ感が初期の初速や他バンドとの差を生んだと僕は考えている。


具体的に楽曲でお伝えすると2000年にリリースされたアルバム「here」に収録されている「南行き」という曲だ。


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この楽曲の凄いところは、ハードロックやメタルで多用されている、ソロギターのユニゾンで間奏やアウトロ箇所をサウンドメイクしたという所と、楽曲自体はブルース的な要素を強めているにも関わらず、ギタープレイ的にその要素を違和感なく取り入れている所にあると思っている。

2011年にリリースされたアルバム「真昼のストレンジランド」収録の楽曲「This town」の間奏箇所もそうなのだが。

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南行き」という曲では、GRAPEEVINEの2本のギターが強いという所をまざまざと見せつけ、GRAPEVINEが作り出す音に強烈なインパクトを残している。

特に、ギターの西川さんのプレイスタイルは通常のギタリストの概念や理念を根底から覆しているギタープレイなのはご存知だろうか?
大体リードギターというものは、例えばギターボーカルが居るバンドでは、ギターボーカルが担いきれない部分をリードギターが担うという概念の元アレンジを構成されるのだが、西川さんのギターは楽曲に呼ばれる形なのか、リードらしからぬプレイラインリードギターが取っているという所に魅力を感じるのだ、初期の西川さんのプレイスタイルは従来のロックバンドのアレンジ感を踏襲した感は残しつつ、西川さんにしか演奏できない色を足していると感じたのだが、昨今の西川さんのプレイは異常である。

例えば「それを魔法と呼ぶのなら」という曲では、レコーディング音源に冒頭から「チーッ」とノイズが走る音が聞こえるのだが、これは西川さんの発想で曲終わりまでギターを弾かずにノイズだけを鳴らすという奏法?笑 で曲に色を足している。


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その発想然り、昨今の西川さんはピックで鳴らす奏法以外にも指でソロやアルペジオを弾くことでギタープレイ的に温かい音を出すように心がけている。


「TIME IS ON YOUR BACK」の45秒あたりで確認できるので見てみて欲しい。

youtu.be


その様なきめ細やかなサウンドメイクやパフォーマンスによってGRAPEVINEの世界観が作られていて、だからこそ前編で話した、「シリアスさ」により説得力を増す事ができるのだろうと思う。

ギタリストならば、「手癖」というものがあるのだが、西川さんの手ぐせは「ST ADY」のイントロリードギターのフレーズらしい。ギターやってる人なら一度引いて見いて欲しいのだが、このフレーズが手癖というギタリストって、、、なると思います。

 

GRAPEVINEの魅力③ 業界関係者に圧倒的にファンが多い

僕はレコード会社でプロモーターという仕事をしていた時期があり、プロモーターのメインの仕事は外の媒体に対して露出枠の確保を営業する仕事なので、日常的にラジオやテレビ媒体の方と話をする事が多い。

雑談の中で、媒体の人に対して「GRAPEVINEどう思います?」って担当でもないのに聞いていた時期があり、GRAPEVINEに対して好印象を抱いている媒体関係者が多いという事も魅力の一つだと感じる。

音楽と人」編集長、金光氏然り、「MUSICA」編集長、鹿野氏然り、各媒体に根強くGRAPEVINE支持を保っている事がGRAPEVINEにとってとても幸せな事であり、かなり奇跡的な事なのだ、ある程度セールスを誇るアーティストを媒体側が支持する事は数字計算としても理に適った行動であるのは言うまでもないのだが、GRAPEVINEの様な特殊な位置付けのバンドが根強く支持される事はとてつもなく、幸せな事であり財産でしかないと僕は思う。

リリースをすれば、それら熱量高くGRAAPEVINEを応援する媒体関係者から無条件で露出を確保してもらったり、楽曲をオンエアしてもらえるからプロモーションの観点からするとこんな楽な事ないのだ。

ある意味、業界関係者でGRAPEVINEを未だに応援しているのはある意味それぞれの意地でやっているし、その分だけやっぱりGRAPEVINEに期待してしまうからだと思う。

GRAPEVINEの魅力④ 根強いファンの気持ち

僕自身、ブログもそうですが、You Tubeでもこんな事を展開している。

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僕以上にGRAPEVINEを愛して止まない人はもっといると思うし、その様なファンがいるから今日までGRAPEVINEは活動を続けられたのだと思う。

来年25周年というのに、未だにもの凄く中途半端な(失礼)位置で自分たちがやりたい音楽を自由に表現できているという事も奇跡なのだが、ホール規模をちゃんと埋め切るという動員力もやはり凄いのだ。これは一重に、ファンが熱狂的であるが故にファンの母数が変わっていないという裏付けだと思うし、ファンはファンでGRAPEVINEの音楽に未だに魅了され、信じ続けてきているからなんだと思う。

それは、彼らが音楽に対して実直に向き合っている姿勢がそうさせるのだろうし。やはり、GRAPEVINEが作り出す世界に浸りたいとずっと期待させてくれる曲を出し続けてくれるからなのだと。世には色んなアーティストが居るが、ここまでファンに媚びずに「聴きたい人が聴けば良い」と本人たち自身胸を張って言っているのは、それだけ分GRAPEVINE本人たちが音楽に力を注いでくれていて、良いペースで作品を出し続けてくれるからこそ。
この25年活動が続いてきたのだと。

 

最後に、何故理想形なのか?

ここまで、僕の主観の意見をダラダラと語ってしまったのですが、このブログのタイトルにある「何故理想形なのか?」という事だが。
ここまでに語ってきた、GRAPEVINEの魅力もさる事ながら例えば、1999年を期にもし、大ブレイクしていたらもしかすると早々にGRAPEVINEは終わっていたのかも?と想像する事もあるし、メンバーが脱退しても諦めずに音楽を続けてきてくれたメンバーの強さもあるし、今日まで付かず離れずみたいな距離感で常に新作を届け続けて来てくれた彼らに努力に最終的には落ち着く。

ここまで、絶妙なバランスで音楽を続けられるバンドは他に類を見ないと思う。ある種、それは彼の強運でもあるし、ファンである支持者の長年に育んできたGRAPEVINEの愛情が相乗効果で、未だにGRAPEVINEの活動を楽しみにできているからなんだと思う。ただ、新作を心待ちにできるアーティストを僕自身も作れてとても幸せで、微力ながらGRAPEVINEが1日でも長く音楽を続けていて欲しいと願う、ファン1人1人の気持ちがこれからも彼らの活動を繋げていくのだと思う。

最後に簡潔にまとめると、やっぱりGRAPEVINEが一番好きなのだ。